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昭和ビンテージドレスポップカルチャー

昭和ビンテージ洋品店について

私たちが大切にしていること

2015年の創業以来、昭和ビンテージ洋品店は、昭和時代の職人が生み出した数々の希少なお洋服たちをご紹介してまいりました。ご令嬢の物語が付された素晴らしいお洋服を「昭和ビンテージ®」と名付け、2018年11月商標登録をいたしました。高度経済成長期を支えた職人たちとその素晴らしい宝物を遺してくださったご婦人たちにこれからもオマージュを捧げてまいります。

昭和ビンテージツーピース非凡

​昭和ビンテージ®の定義

昭和ビンテージ洋品店は、日本の古き良き時代、昭和20年代から昭和50年代、青春時代を過ごしてきた銀座、田園調布など高級住宅地に住んでいたご令嬢たちから仕入れをしております。

◆その時代の日本の品質が担保された高級婦人服

◆思い出が詰まっているがゆえ、大切に保管されてきた状態の良さ

◆一点一点に職人が手をかけた希少価値の高い一点物

◆すべての品に物語がある

上記をすべて満たした洋服を「昭和ビンテージ®」と定義づけ、商標登録をいたしました。

昭和ビンテージドレス皇室

目利き

業者の大西は、生まれたころから、洋服に囲まれた生活をしておりました。 生まれた時にはすでに亡くなっていた祖母が遺した日本製の質の高いオーダーメイドの洋服、それに見合う帽子やかばんを大西の母親が大切に保管して飾っておりました。

母親は洋服をデザインして布やニットで作るほど、ファッションに対しての思いが強い人でした。博物館のように大切に保管されている触れられない洋服への憧れを子供ながらに感じつつ、祖母への愛情やファッションを大切にする母親の姿を見て育ちました。

現世では直接会えなかった祖母と、時代を越えて洋服を通じて触れ合えたことを嬉しく、また誇りに思いながら育ちました。

その影響で小さな頃からファッションに興味を持ち、今では服を見るだけで、その素材や価値、製造年代がわかるようになりました。

昭和ビンテージドレス皇室

日本文化の承継

日本人は、物を大切に、きれいに、使います。

 

戦争を経験された方々が大切にして遺してくれた数々の品を見ると、戦後の高度経済成長時代に質の高いものが生産されてきて、いかに優れたものであったかが伺えます。

 

私たちはそれを日本の立派な文化だと考えております。

 

日本の若い世代の方たちへそのことを伝えたい。

そして日本の立派な文化である昭和ビンテージ®を遺していきたい。

 

そんな思いから昭和ビンテージ洋品店は誕生いたしました。

当店の夢は、銀座に昭和ビンテージ®博物館を作ることです。

 

夢のプレスリリースはこちら

昭和ビンテージツーピース皇室

宣言

ほとんどが50年以上前の洋服になりますため、無傷というわけにはいきません。

なかには洋服として活用が難しいものもあります。その場合は、当店の縫製職人がその布地を使って、丁寧に手仕事によってアクセサリーや雑貨類に変身させ、西武園ゆうえんちや歌舞伎座等の小売店に卸しております。

そして、当店でご紹介が難しい洋服に関しては、行政やNGOと連携して、洋服が必要な方の手に渡るよう寄付活動を続けてまいりました。

また、大人を対象に洋服を使って布ぞうりを作る教室や子供向けにサイズアウトしてしまった自分のお気に入りの洋服で工作する教室も開催しております。

私たちは洋服の使い捨てを許しません。

余すことなく、有効な形で活用していくことを約束し、洋服を通じて持続可能な社会に貢献してまいります。

2つの取扱店

昭和ビンテージ洋品店スミックス

昭和20年~40年代頃までのご令嬢が着用した当時のオートクチュールや高級プレタポルテを取り扱っているブランドです。1点1点に持ち主のゆかりの地・人物像などの物語が付いているという点が特徴です。

昭和ビンテージ洋品店すみれ

スミックスのセカンドラインとして誕生したブランドです。ご令嬢が着用していたビンテージであるというコンセプトはそのままに、昭和50年代から平成までにかけて製造された日本のアパレルブランドや高級仕立服をお取り扱いしております。

5つの系統

スミックス・すみれ、各コースには、それぞれ5つの系統(無上・皇室・ポップカルチャー・非凡・超凡)があります。

昭和時代にムーブメントを起こし、その時代を盛り上げてくださったことに感謝の意を込めて。

無上

当店の商品中、縫製・状態・布地全てにおいて、この上も無くすぐれている昭和ビンテージ®のみがこの系統に入れられる。

 

この系統以上の価値の物は存在しない。

皇室

昭和33年11月27日。景気が上昇していた中で、宮内庁は日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子さまを皇太子妃に迎えることを可決したと発表。初の平民出身皇太子妃として注目の的となった。美智子さまは「昭和のシンデレラ」と呼ばれ、美智子さま風ファッションが大流行。いわゆるミッチーブームが起きた。

ポップカルチャー

昭和時代のポップカルチャーと言えば、ツイッギー。ツイッギーは、東洋レーヨン、トヨタ自動車販売株式会社、森永製菓の3社合同招待にて昭和42年10月18日に羽田空港に降り立った。3週間の日程で、東京・大阪など7都市でファッションショーを開いてミニスカート姿を披露し、ブームを巻き起こした。街行く女性の9割がミニスカートを履くようになったといわれている。

​非凡

昭和45年、大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、テーマ展示のプロデューサーに岡本太郎を要請。岡本は承諾すると「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、出来上がったのが『太陽の塔』であった。

この日本万国博覧会は各方面に影響を与え昭和50年『太陽の塔』の永久保存が決定。現在もなお、大阪万博のシンボルとして愛されている。

超凡

昭和61年、バブル景気は始まった。あくまで日本だけにおける好景気の通称であり、株価の急上昇、不動産価格の上昇、また個人資産などが増大し、社会全体が今までにない好景気を実感した時期。

ワンレン・ボディコン・オーバーサイズでルーズなシルエットのソフトスーツ・DCブランドなどが大流行し、ヒョウ柄やヴィヴィッドな色合いの派手なファッションが大流行した。

サービス

当店は、3つのサービスを提供しております。

譲り人の物語のあるお洋服たち。

​昭和20年代から50年代のご令嬢達が遺した宝物です。

あなたのおうちに眠っている宝物。私たちのサイトに掲載してみませんか?

※福岡エリア限定 テスト運用中

rental
昭和ビンテージブラウス非凡

定額制レンタルサービス

当店は、NHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」、テレビ東京「死役所」、バラエティー番組「ぐるナイ」など、多くのメディアに衣装協力してまいりました。貸出しはスタイリストの方限定となっておりましたが、一般のお客様からも数多くご要望の声をいただき、ここに新しいサービスを実現いたしました。新しい体験・・・月に一度届く、ご令嬢の宝物をお楽しみになりませんか?

5つの特徴

1

​気に入った洋服は自動でレンタル期間を延長。連絡することなくそのまま延長できます。

自動延長システム

2

返却期日が固定だから、返却を忘れることなく安心。

※初回のみ翌々月の15日までに返却

毎回15日までに返却

3

​面倒な手続き不要。通勤途中や自宅の近く、コンビニ(ローソン)のポストに投函するだけ。

返却はポストに投函

4

気に入らなかった場合は交換可能。

※往復の通常送料をご負担いただきます。

商品チェンジOK

自宅で洗濯可能

5

​ビンテージの中でも、自宅で洗濯可能なものだけをお貸出し。期間中何度でも着用できます。

お届け品目

昭和ビンテージドレス
昭和ビンテージトップス
昭和ビンテージスカート

もしくは

ドレス

ツーピースかセットアップ

2つのコース

昭和ビンテージ洋品店スミックス

昭和20年~40年代頃までのご令嬢が着用した当時のオートクチュールや高級プレタポルテを取り扱っているブランドです。1点1点に持ち主のゆかりの地・人物像などの物語が付いているという点が特徴です。

​初回11,000円(税込)
※​
昭和ビンテージ洋品店すみれ

スミックスのセカンドラインとして誕生したブランドです。ご令嬢が着用していたビンテージであるというコンセプトはそのままに、昭和50年代から平成までにかけて製造された日本のアパレルブランドや高級仕立服をお取り扱いしております。

​初回4,500円(税込)
※​
※​2回目以降のお届けからスミックスコース21,000円(税込)、すみれコース8,000円(税込)となります

3つの系統

スミックス・すみれ、各コースには、それぞれ3つの系統(皇室・ポップカルチャー・非凡)があります。

昭和時代にムーブメントを起こし、その時代を盛り上げてくださったことに感謝の意を込めて。

昭和33年11月27日。景気が上昇していた中で、宮内庁は日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子さまを皇太子妃に迎えることを可決したと発表。初の平民出身皇太子妃として注目の的となった。美智子さまは「昭和のシンデレラ」と呼ばれ、美智子さま風ファッションが大流行。いわゆるミッチーブームが起きた。

皇室

ポップカルチャー

昭和時代のポップカルチャーと言えば、ツイッギー。ツイッギーは、東洋レーヨン、トヨタ自動車販売株式会社、森永製菓の3社合同招待にて昭和42年10月18日に羽田空港に降り立った。3週間の日程で、東京・大阪など7都市でファッションショーを開いてミニスカート姿を披露し、ブームを巻き起こした。街行く女性の9割がミニスカートを履くようになったといわれている。

​非凡

昭和45年、大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、テーマ展示のプロデューサーに岡本太郎を要請。岡本は承諾すると「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、出来上がったのが『太陽の塔』であった。

この日本万国博覧会は各方面に影響を与え昭和50年『太陽の塔』の永久保存が決定。現在もなお、大阪万博のシンボルとして愛されている。

昭和ビンテージ洋品店の公式LINE
昭和ビンテージ洋品店スミックス

スミックスコース ​皇室

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